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なんてすごいんだ、世界なんだ。



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1982年にレバノンにいたときのことだ。イスラエル軍による88日続いた爆撃の後、首都ベイルートはまたたくまに占領された。私の目の前でイスラエル軍の戦車が大学に砲撃を加えていた。私はこれほどの衝撃を至近距離で感じたことはなかった。体からサーと血の気がうせるのが分かった。しかしかろうじて私は撮影を続けていた。しかしカメラのフィルムは36枚で終わり、フィルムをチェンジしなくてはならない。そのためにファインダーから目を離した瞬間に、恐ろしい震えが来た。ひざががくがくして、何とか早くフィルムを装てんしようとするのだけれど、手が震えてどうにもならない。やっとのことでフィルムを入れ替えて、ファインダーをのぞいた時に、震えは収まった。それは不思議な瞬間だった。

このとき私は自分のアイデンティティを取り戻したように感じた。自分がここに立っている意味が自分で確認できたというべきだろうか。シャッターを教えている行為によって、私は自分であることができた。戦争という状況に対峙する自分が見えたのだ。戦場にいる理由は、フォトジャーナリストとしてそこにいる限り、確認出来た。フィルムが無いカメラでは、自分は裸でさらされているようで、存在の意味をもぎ取られたように感じた。夜など写真が撮れない中で、ひたすら爆撃の恐怖を耐えなくてはならない時は惨めだ。酒を飲んで、音楽をがんがん鳴らして身をちぢめているほかない。もっぱら加藤登紀子の歌を聞いていた。あの歌がなければ私は社会に復帰は出来なかっただろう。

それにしても写真が自分にこれほどの意味をもたせるとは思わなかった。やがて私はテレビの作品も多く作るようになるが、自分の肩書きは、いつも「フォトジャーナリスト」を選んでいる。


広河隆一
「人間の未来へ/ダークサイドからの逃走」水戸芸術館