2013/1/6(日)

晦日から広島に帰り、年を越して2日に東京に戻りました。

夏におじいちゃんが死んで、葬式のために単身で帰ったきりの広島でした。実家に帰って、当たり前だけど、おじいちゃんがどこにも居ないことがショックでした。母から「葬式の時の写真はどうしたん?」と聞かれ、すっかり忘れていることに気づきました。いえ、忘れていたわけではないのですが、どうにもプリントする気になれなかったのです。「忙しくてまだプリント出来てない」と言いました。嘘です。忙しくてもプリントなんかすぐ出来るのです。

広島の実家は、おじいちゃんが居た頃と同じ様に思えました。母が元気に台所を切り盛りしています。おじいちゃんはもともと口数の少ない人でしたから、余計そう思ったのかもしれないし、私たちが帰って来たから、盛り上げてくれていたのかもしれません。ただおじいちゃんの存在がないのです。

おばあちゃんが泣いたのは何度か見たことがあります。9歳上のお兄ちゃんがいるのですが、高校の時はやさぐれていたので、おばあちゃんを傷つけて泣かせていました。私はまだ幼くて口答えが出来なかったのですが、一度だけお兄ちゃんに「おばあちゃんを泣かせるな」と勇気を振り絞って刃向かったのを覚えています。おじいちゃんの葬式の時もおばあちゃんは泣きました。私はうまく泣けなくて、夢中で写真を撮っていました。

どうしてこんな時にまで写真を撮るのでしょうか。おくりびと、と呼ばれる業者の人たちがやってきて、おじいちゃんの体をきれいにするとなった時、母は「あんたはカメラマンの端くれじゃろ、これをちゃんと撮っときんさい」と背中を押してくれました。それまで私は写真を撮ることを躊躇っていたのです。母にはお見通しだったのでしょう。東京からはきっちりカメラを持って来ていました。それでも葬儀の最後におじいちゃんに花を手向ける、という時に、とうとう父が小さな声で「撮るのやめい」と言ったのです。私は一瞬戸惑いましたが、聞こえないふりをしました。

写真は、火葬場に入ったところで終わりです。あとは撮っていません。この後、納骨もあったのですが、もう撮りませんでした。その後お経を上げて、お開き。市内へ戻るという親戚の車に乗って、その場から逃げるようにして帰ってしまったのをよく覚えています。お父さんもお母さんもおばあちゃんも置いてきてしまいました。

お正月、おばあちゃんは泣いたりしませんでした。当たり前かもしれません。あれから月日は経ったし。もしかすると誰も知らない所で泣いているのかもしません。私は、大晦日の夜中に泣きました。おじいちゃんがもうどこにも居ないということに気づいて、無性に悲しくなりました。私の時間は、逃げ帰った葬式の続きだったのです。

東京に戻って急いであの時の写真をプリントしました。さすがに上手に撮れていて自分が嫌になりました。

感傷的になって、書きすぎました。今年も私は撮り続けます。